メアリー信仰/日記

※日記なのでオチはない
 
 
小さい頃から外遊びはあまり好きじゃなかった。昼休みも帰り道も、お風呂でも車の中でも本ばかり読み続け、通信簿には「読書もいいですがたまには外で遊びましょう」と書かれた。それでも構わず校庭にかけていく友達を見送って、自分は本の世界に没頭した。
そんな本の虫である私が繰り返し繰り返し読んだ作品の1つがメアリーポピンズシリーズである。展開がわかっていようが読んだ。風呂の湿気でふやふやになろうが読んだ。本当に何べんも何べんも飽きずに読んだ。1910年のロンドン街並み。雨の香り。メアリーの不思議な親戚たちとの出会い。空へ、ジャングルへ、絵の中へ。妄想力逞しい私は、うっとりとその世界に想いを馳せた。何度目であっても浸ることができた。メアリーの真似をして鼻を鳴らし、妙に時代遅れな言葉を好んで使った。

赤毛のアン長くつ下のピッピ霧のむこうのふしぎな町にメアリーポピンズ。こういう「繰り返し読んだ作品」は私にとって聖書というか教典というか「お袋の味」みたいなものである。しっかりしみしみじっくりつゆだく。日々思い出すわけじゃない、でも忘れない。大好き!というより、当たり前にそこにある感じ。私を構成するものたち。DNA。遺伝子。
 
今日、メアリーポピンズ リターンズを観に行った。「わ〜い」くらいのテンションで挑んだのだが、メアリーが登場した瞬間に泣いた。影だけで泣けた。というか影だからこそ泣けたのかも。顔や姿形がハッキリしたらなんとなく「エミリーブラントメアリー」っていう風に意識してしまうけれど、影だけならメアリーはまだメアリーだもの。風にのってさくら通りを去ってしまったメアリーが戻ってきた。ジェインのもとに、マイケルのもとに、そして私のもとに!!!ああメアリー...。まあ、メアリーがシカゴ風に踊るのは多少違和感があったが、それはそれ、これはこれだ。そもそもジュリーアンドリュース版の時から世界観やキャラクターは大幅に違うしね。どちらも私は好き、きっとそれでよし。
 
思わぬ形で自分の中にある信仰心を発見して、なんだかうっとりとした気分でいる。ファンでもない。憧れでもない。これはもはや信仰で、私の中に組み込まれたものなのだ、たぶん。きっとみんながそれぞれの信仰や、おとぎの世界を持っている。レコード、絵本、風景、アニメ、新聞、毛布、におい。つまらん大人になっちまったが、私の中のおとぎの世界は枯れていない。これからだって枯れやしない。いつまでも。そう、いつまでも。
 
 
“Don't you know that everybody's got a Fairyland of their own?”
「だれだって、自分だけのおとぎの国があるんですよ!」
風にのってきたメアリーポピンズ  より

 

 
ついき1
「リターンズ」を見る予定の方は、1964年公開のジュリーアンドリュース版を先に鑑賞することを強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く×10000000おすすめする。前作を見た人が嬉しくなるような小ネタが満載。前作を見るだけで「心温まるポイント」がぐっと増える。前に見たことあるからいいよ、って方ももう一度見直したほうがいい。細部を思い出しておいたほうがきっと楽しめるよ。

ついき2
奇しくも(?)聖母マリアの英語表記はMary、Mary Poppinsと同じである。彼女は聖母っちゅー性格じゃあないけど。