ロックナンバー


ひろゆきという男は、なかなかに変なやつである。御年49才。純日本人だが、どことなく東南アジア風の顔をした中年男。表情のバリエーションが乏しく、常にローテンションな癖にラインになると「おはよう!ごめんね、いつの間にか寝ちゃってた(´;ω;`)山本のハンバーグがいいかなぁ(*^ω^*)」(※どこで食事をするか決めていた時のもの)と途端に乙女ぶる。JKか。

趣味はテニスと岡本太郎のグッツ集め。「メルカリでさ、岡本太郎ガチャガチャって検索してみてよ」と言うので検索したら「それ落札したの俺」と謎の報告をしてくる。だからなんだというのだ、ひろゆきよ。

たまにラインをしてきたと思ったらツムツムの得点の上げ方についてだし、好き嫌いが多くすぐに風邪をひく。冬に沖縄に行って、イルカとの触れ合い体験をしたら風邪をひいた。ホテルにて小学生の実子に看病をされる。ちなみに新婚旅行の時の沖縄でも風邪をひいたらしい。肝心な時に決まらない男である。結婚したらタバコを辞めると宣言したが失敗。子供ができたらタバコを辞めると宣言したがこれも失敗。子供が生まれたらタバコを辞めると宣言したがとうとうこれにも失敗。多分辞める気は最初から無い。

なにを考えて日々を過ごしているのかが非常にわかりにくい、トンチンカン星人ひろゆき。何を隠そうこの男、私の父である。

 

 

私が5才の頃、母とひろゆきは離婚をした。四六時中一緒にいるわけではない、という反動からか、小さい頃の私はパパ大好きっ子だった。勿論、一等に好きなのはママ!というのは私の人生において揺るがぬ事実だし、なんだかんだ言って私のことを誰よりも理解してくれるのもママ!なのだけれども、レアキャラの力はなかなかに強いものだ。


私の「パパ大好き期」のピークは小学生の頃だった。
「じゃあまた連絡するからお嬢も元気でね」(そう、ひろゆきはどういうわけだか私のことをお嬢と呼ぶ)と言い、去っていくひろゆきの車に手を振りながら、しょぼくれ涙ぐんだものだった。「何かあったら電話しなね」と言われていたのを思い出し、別れて2時間もしないうちに電話をかけたりした。しかし、心配をかけたくなくて(そして戻ってこい!と言ったところで戻ってこれるわけがないのも知っていたので)なんでもな~~いと言って電話を切った。そしてばななに頬ずりしながらべそをかいた。健気~。

 

こんなことを書くとえらく不憫にみえるが、実際のところ「会いたい時に自由に会っていいよ」というのが我が家のスタイルだったので、窮屈な思いをした覚えはない。
それに我が母を知っている人ならばわかってくださると思うのだけれども、彼女は類をみないほどの(特大級、全米が泣くレベルの)親バカなので、私の人生には「孤独な子ども時代」だとか「不幸な子ども時代」みたいなものは、まるでなかった。だって22才になって今でも一緒に寝たがるんだぜ?前髪をちょんまげにしたすっぴん顔を「世界一可愛い♡♡」とか言うんだぜ?待受画像、私の幼い時から今までの自作コラージュ写真なんだぜ?愛情不足なんて口が裂けても言えねえよ!!!!お母さんありがとう。

 

2008年7月21日、私の13才の誕生日。
私はひろゆきからの「おめでとう」メールをそわそわしながら待っていた。なんどもなんども受信問い合わせをしたものの、いつまで経ってもメールは届かない。電話もない。8才の時に携帯を買い与えられてから、毎年必ず送られてきていたのに!

「もうこないかも」と「そんなはずはない」の間をいったりきたりしている間に、時刻は23時59分になってしまった。ラスト1分、新着メールを知らせる通知に「もしかして!」と胸が高鳴った。が、残念ながらひろゆきからのメールではなかった。サプライズ精神旺盛な母の同僚からだった。大変失礼ながら“がっかり“が“嬉しさ“をニアピンで上回った。そして迎えた24時。2008年7月22日。私の誕生日は終わってしまった。
次の日も、その次の日も、ひろゆきからの連絡はなかった。1週間ほど経って、私はようやくひろゆきから「おめでとうメール」はこないのだと悟った。

実はその数ヶ月前、ちょっとした事件があった。些細な出来事ではあるのだが、そのせいでひろゆきは私に連絡をよこすのを遠慮したらしかった。私の推測なので、あくまで「らしかった」なのだけれども。

 

拗ねた13才の私はお返しとばかりに、ひろゆきの誕生日に電話もメールもしなかった。私にとっても、初めてのことだった。そうしている間に、なんと3年もの月日が経ってしまった。中学の3年間、ひろゆきと連絡を取ることは一度もなかった。誕生日も、お正月も、クリスマスも、何もなかった。毎年僅かな期待をしたし、毎年余計な意地を張った。そして毎年、期待をした分だけがっかりした。

一体ひろゆきは何を思ってその3年間を生きていたのだろうか。どういう風に朝起きて、会社に出かけていっていたのだろうか。夜寝る前、少しは私のことを考えたりしたのだろうか。私がそうしたように。

 


「パパ大好き期」を妙な形で拗らせた私は、思春期特有の陰気臭さも手伝って「パパってあんまり私のこと好きじゃないんじゃあないかしら」なんて考えたりするようになった。思春期少女の考えそうなことである。

13才の私には、ひろゆきの考えていることがさっぱり理解できなかった。14才になっても、15才になっても、やっぱりわからなかった。ちょっぴり悲しくて、ちょっぴり腹立たしかった。

 

結局、高校に入学する時に私から連絡をするようになって(感謝しろよひろゆき!)私とひろゆきは若干の余所余所しさと照れ臭さを纏わせつつも連絡をとったり、会うようになった。大学に入る頃には、もうすっかり「フツーの親子」に戻った。

「パパって私のこと好きじゃないの?」と思っていたあの頃の自分に言ってやりたい。「お前の父はトンチンカン星からきたトンチンカン星人なのだから、そりゃあトンチンカンなことをするのだ。意地を張っていないで自分から連絡してみなさい」と。

ひろゆきは不器用な男。何を考えているのかわかりづらい上に、照れ屋で愛情表現がどうにもこうにも下手くそ。そして娘心がわかっちゃあいない。思えば物心ついてから、ひろゆきに「かわいい」だとか「好きだよ」と言われた覚えが全くない。じゃあひろゆきが私のことを好きでないのかというと、多分、そういうわけでもない。大掃除をしていたら発掘した「2才のさいちゃん」の動画を見せたら、ニヤニヤしながらぼそりと「これあとでパパに送ってよ……」と言っていたし、ついひと月前も私が合宿免許に行く日をしっかり覚えていたらしく「 今週から免許の合宿かな?気をつけて頑張ってきてね(๑˃̵ᴗ˂̵) また帰ってきたら、ごはんでも行こうよヽ(´▽`)/」と相変わらず乙女チックなラインをよこしてきた。マメだなあ。そう、ひろゆきは私のことが大好きなのだ。年を経て、ちょっとは娘心を汲めるようになったのやもしれない。

 

しかしながら、大学1年生の時に「交換留学に選ばれたよ!半年後に留学することになった」という報告ラインをしたところ「おめでとう!パパも報告があって、来月に再婚するよ( ^ω^ )」というトンチキ爆弾な返事をよこしてきたあたり、やっぱりトンチンカン星人であることに変わりはなかった…。前言撤回!「来月に再婚するよ( ^ω^ )」じゃねーよ!!!!普通もうちょっと早く報告しない!?っていうか、ついでに、みたいなノリで再婚話をぶちこむんじゃあない!!!!!!(しかし奥さんは素敵な感じの人だったので、ますますひろゆきのトンチキミステリー度合いに拍車がかかった。なぜひろゆきなんだろう……)

 

 

2017年もあと2日で終わる。割といい年だったのではないかなあ、と思う。
もちろん「いい」とは言えど、人生なので...そして落ち込みやすい私なので、些細なことを含めれば嫌なことなんて、夜の渋谷を爆走するネズミの数くらいはあった。
ゼミの騒動でベッコリヘコみ、糊のききすぎたバリバリの就活スーツに身を包みながら池袋のスタバで1人涙ぐんだ日。素敵だなあ!と思っていた会社の面接でぺしゃんこなるくらいに圧迫され、茫然としながら布団にくるまって涙ぐんだ日。私の横ですやすやと眠る愛犬ばなちゃんを見ていたら胸がきゅーんと痛み「長生きしてくれよぅ」と涙ぐんだ日。別れ話をして公園で涙ぐんだ日。そしてバイト先でお客様に飲み物を引っ掛け、お客様に大層絞られ、カウンターの陰で涙ぐんだ!!!!!あの日!!!!!!!あ〜〜〜〜怖かった!!!!!!!!涙ぐんでばっかじゃねえか!!!!!涙を制御できないトンチキ女。ひろゆきのことバカにできない。同じトンチンカンDNAがしっかと受け継がれている……。

 

全くもって、人生嫌なことまみれ!アングリー、アンハッピー、アンラッキー!些細なことでてんてこ舞い。右往左往に涙ぐみ。けれども、そんな嫌なことたちを「あんなことあったナァ」と呑気に振り返ることができている自分がここにいる。「嫌な出来事レベル」では例年に負けていないはずだが、それでも「平和だった~~~~~!」なんて言えている自分がここにいる。

13才の私は今よりもっと涙もろく、怒りっぽく、そして繊細だった。今よりずっと傷つきやすく、そして立ち直りにくかった。22才の私は、どうだろう?

 

 

目前に迫るは2018年。何度も、何度もメールがきていないか確かめた「あの2008年」からもう10年が経とうとしている。13才の私はあんなにもひたむきに、健気に、そして痛々しく心を悩ませていたというのに、今となっては何がどうしてあんなに悲しかったのか、さっぱり思い出すことができない。痛々しい13才のさいちゃんも、涙を流しながら車を見送るいじらしい10才のさいちゃんも、もう、ここにはいない。今ここにいるのは、パパのことは今でも好きだけれど、私たちは別々の人間である、ということを理解できるようになった22才のさいちゃんだ。まあ、彼には彼なりの都合があったのだろうというのが、今では分かる。早いが話、私も大人になったのだ。
「私たちってば、こんなに中身変わらなくて大丈夫!?」というセリフは付き合いの長い友達との”cliche”というやつだが、実は、私たちはきちんと成長をしているらしい。2017年は例年通り嫌なことたちはあったものの、それらを引きずらず消化できるくらいには、大人になった。そう考えると、大人になるっていうのも然程悪いことではないのかもしれない。

 

なーんて格好つけてみたものの「自力で!この大人な私が!数々の嫌ごとたちを!後腐れなく!消化することができたのです!」と言うと、だいぶ語弊がある。滅相もございません。
ゼミの同期だった面々が変わらず仲良くしてくれているから、怒涛のゼミ騒動から立ち直ることができた。圧迫面接をされてブツブツな泣き言を言っている私を慰めるべく、彼氏が(別れたけどな!)びゅんと家までやってきてくれたから、布団の虫にならずに済んだ。今日も今日とて、ばなちゃんがぶりぶりと尻尾を振りながらのし掛かってくるから、いつか来たる別れの日をちょっぴりの間は忘れることができる。遊んでくれる友達がいたから、恋愛ごとに頭を悩ませずに済んだ。そしてお客様に怒られている間に冷えて出せなくなってしまった料理を「まかないが豪勢になったよ!もったいないから食べて食べて!」と言いながら食べさせてくれるキッチンさんがいて(ランチタイムの忙しい最中、料理を作り直す羽目になったのに!)「凹むことないよぅ~私なんかね~」と自分の体験談を聞かせてくれるホールの人がいて(私が対応に追われてしまったせいでめちゃくちゃ忙しくさせてしまったのに!)私が落ち込んでいることを聞きつけてラインまでくれた人たちが(その日シフトに入っていなかったのに超長文でラインくれた。あと本部の人は涙声の私に「大丈夫だよ、心配しなくていいからね」って言ってくれた。余計泣いた。)いるからこそ、私は今日も笑顔で生きることができている。ぴ〜。あ〜バイト先大好き!友達も大好き!ばなちゃんも大好き!母ヨーコも大好き!血の繋がった人からの愛。血の繋がらない人からの愛。私はそのどちらも手に入れることができた。ありがとう2017年。なかなかどうして、愛おしい年だった!

 

みなさま、2017年はどうもありがとうございました。2018年、ちょっとは大人になった(と思いたい)私をどうぞよろしく。未だに子供っぽい私のことも、重ねてどうぞよろしく。2017年にいただいたものを、少しでも返せたらな、と思う。私を大人にしてくれた人たちに。私を子どものままでいさせてくれた人たちに。まったく、いい年だった。

 

これにて私の「毎年恒例!1年振り返りブログ」を終わりにします。結局何が言いたかったのかわからない上に、なんも振り返れてないけど。パパのこと呼び捨てにした挙句、トンチンカン星人とか書いただけだけど。万が一、億が一でバレたら今度こそ交流断絶されてしまう!!!!!!!!!
空白の3年間については私も許すから、どうかチャラにしてください、パパ。

 

皆様にとって2018年が幸せな1年でありますように。
13才の私と、今の私と、23才の私から愛を込めて。よいお年を。

 

 

一つ、余談がある。
今年の夏、ひろゆきが誕生日プレゼントを買ってくれるというので二人で出かけた。(冒頭の「山本のハンバーグがいいかなぁ(*^ω^*)」はその約束をするラインだったのである)ちなみに靴と、岡本太郎のTシャツと岡本太郎のハンカチを買ってくれた。どんだけ岡本太郎。というか娘が岡本太郎グッズを欲しがっていると信じて疑わないのがやっぱりトンチキ。娘心をわかっちゃない。コメダ珈琲シロノワールをガン見しつつ「やべー美味しそうじゃん…でも最近本当に太ってきてるからなあ…」とか言いつつシロノワールを注文しちゃうあたりもトンチキ。

 

シロノワールを食べながらひろゆきが唐突に「最近の悩みはスマホの制限速度が遅くなること」であると語り出した。よく話を聞いてみると、どうやらこの男、データ通信量とスマホの容量が違うものであるということがわかっていないらしい。
「使い方がよく分かんないんだよね。ちょっと見てくんない?」そういってひろゆきは自分のiPhoneを取り出し、4桁の数字を打ってロックを解除した。そのロックナンバーを何気なく目で追って、私は心の中でアッ、と声をあげた。ちょっぴり嬉しくて、けれども照れくさくて、気づかぬふりをした。照れ屋なところは、やっぱり遺伝らしい。


 

 

ロックナンバー0721。7月21日、私の誕生日。

13才の私が鼻歌を歌っているのが、聞こえた気がした。