わたしはことば


子どもの頃、私は「本の虫」だった。兄弟もいないし、運動も好きでなかった私はとにかく本をよく読んだ。通信簿には「読書もいいですが、もっと外で遊びましょう」と書かれたのを覚えている。下校中に“歩きスマホ”ならぬ“歩き読書”をして見知らぬおじいちゃんに叱られたこともある。
赤毛のアン、メアリーポピンズ、長くつ下のピッピ、名探偵ポアロシリーズ、窓際のトットちゃん。私は小さい頃から「魔女」になるのが夢なゆめうつつなお花畑少女だったものだから、いつも夢の世界に連れて行ってくれるファンタジーを特に好んだ。「霧の向こうの不思議な町」は、7才の時に出会った本だけれど、大人になった今でも一等に好きだ。
もう少し大人になると親の本棚からよしもとばなな村上龍山田詠美なんかを引っ張り出して読んだり、中学の図書室にせっせと通い、楽園のつくりかたや(かおり~ん!)や鳩の栖、これは王国の鍵、かたつむり食堂といった素敵な本と出会った。
もっとも、最近はちっとも本を読んでいないので、読書ジャンキーの名は返上しなければいけないけれど……。

「魔女にはなれないかもナァ……」と薄々気づき始めた私は、読書少女にありがちなことだと思うんだけれども、今度は書き手になりたいと考えていた。
二つ前の記事でも書いたように、10歳の頃に自作ホームページで小説を公開したことをきっかけに、度々「物語づくり」を試みた。試みた、のだが、残念なことにどれ一つとして大成しなかったどころか、完結させることすらできなかった。私も「ははあ、完成すらしないんじゃ作家は無理だわ!才能無し」と早々に文字を書くことを投げ出した。

ただ、文を書く才能がないくせに、私は今日もこうして長々とブログを書いている。しかも、この趣味は当分はやめられそうにない。なぜだろう?多分、こうしてブログを書くたびに、誰かが「わたし」の存在を認めてくれるからだ。

ブログを書くようになったきっかけは反発心だった。
サークルでぶりっこだと言われたり、当時描いていた「絵日記」をバカにされたりして、どうしても一言言い返してやりたい!という気になった。なったはいいものの、残念ながら私に喧嘩をする度胸はなかった。
だから、意趣返しというか、遠回しな抗議のつもりで「何故わたしはぶりっこと言われるのか」というタイトルで、ぶりっこと言われる原因究明記事を書いて投稿をした。もっとも「原因究明記事」だなんて書くとさぞかし立派に思えるが、実際は最高にお粗末だ。寒いギャグで滑り散らかしていて、正直当時の記事は読み返したくないな……。
「どうかあいつらに伝わりますように」なんて意地の悪いことを思いつつ寝て起きたら、一通のラインがきていた。相手は同じサークルの女の子で「ブログを読んで共感したから、よかったら遊ぼう」という内容のものだった。

この経験で、自分の書いた「ことば」で誰かに認めてもらえることの充足感を知った。他にも中学の時は一度も話したことがなかった同級生とお互いのブログを通して仲良くなったり、なかなか興味深いことが多い。
こうしてブログを書くと、毎回誰かしらが反応をしてくれる。それだけでその日まるっと機嫌よく過ごせる。ついついにやけてしまう。画面を見ながら、スキップしたくなってしまう。最高に嬉しい。マジで嬉しい。ガチめに嬉しい。とってもハッピー!ありがと〜〜!

一度か二度、お愛想でしか話したことのなかったサークルの女の子。私たちは結局サークルを辞めた。だからあの日、今となってはこっ恥ずかしい「ことば」を綴らなければ、他人として生きていた可能性が高い。
趣味も、誕生日も、何もかもを知らなかったのに、彼女は今では私のだ〜〜〜いすきな友人の一人だ。初めての友達との旅行は彼女とだったし、国を跨いだロマンチックな小包の送り合いも彼女とだった。

なんだかこれって、私が幼い頃恋い焦がれた「ファンタジー」のような、不思議めいた運命の出来事なんじゃあないかと、近頃思う。魔女にはなれなかったし、物書きにもなれなかったけれど、大好きなファンタジーの世界をつくることは、できたのではないかと、今になって思う。


ことばは、私の武器だ。これで飯は食えないだろう。有名にもなれないだろう。けれど、本を通してあらゆる世界を旅した、今は亡き読書ジャンキー少女の残してくれた遺産だ。やっぱり私の武器であることは変わりはない。朝から晩まで、授業中でも下校中でも、車の中でだってことばを愛したわたしは、きっと、ことばそのものだ。


明日も私は、彼女と二人で町へ出かける。

“Don't you know that everybody's got a Fairyland of their own?”
― P.L. Travers, Mary Poppins