『わたしはだれ』 (1)わたしはぬか漬け

 

2017年ももう半ばを過ぎた。毎年恒例の、悲しくなるほどありふれた台詞だが「あっという間だな」とつくづく思う。 この半年間を振り返ると「わたしはだれ」という問いと、そりゃもう嫌になるくらい生活を共にした日々を思い出す。
自分自身と向き合う作業は苦しいしやるせないし終わりがない。戸棚をひっくり返しても説明書は見つからないし、辺りを見渡してもカンペはない。
個人的にはさっさと同居を解消して三行半を突きつけ、合鍵を返して欲しかった。欲しかった、のだが「わたしはだれですか」さんはずっとそこに佇んでいる。ちなみに、現在進行形だ。全くもって強情な奴である

せっかくこんな「同居」をしているのだから、今後の自分のためにも、書き起こしておこう。そう思って今、ブログを書いている。ブログにしては途方にくれるくらい長くなるので、3日くらいにわけて書く(つもり)です。

 

(1)「わたしはぬか漬け」
そもそも、なぜ半年間にも渡って「わたしはだれ」さんと生活を共にすることになったのか。それは就職活動をしていたから、というのもあるし、学業やら恋愛やら私生活でも色々山あり谷ありのイベントが目白押しだったので(大してシリアスなものではないにせよ)否が応でも考えざるをえなかった、というところだ。

私は一言でいえば「地味」なやつだ。運動神経は1ミリも無いし(100メートルを走るのに20秒以上かかるし、跳び箱は人生で一度も跳べたことがない)学歴に特筆する点はなし。たまーに落書きをするものの、どれも「へのへのもへじ」に産毛が生えたレベルのものだ。容姿については、自分で書くのも悲しいので、お察し。

こんなザ・地味な私だが、「地味」という言葉は私の地雷ワードである。私は、昔から地味なのがコンプレックスだった。「特別」になれない、村人Dな自分が嫌だった。他人から地味と言われるのが嫌で仕方なかった。
高校の時、バイト先が同じだったイケイケの同級生が「なんであの子と友達なの?」と聞かれた、という話は“地味”に傷ついたし「中学生みたいな子」と言われると“地味”に腹がたつ。地味に傷つき、地味に怒る。とことん冴えない。
言われなくても知ってるよバ〜〜〜〜〜〜カ!!!!!お前のかあちゃんデベソ〜〜〜〜〜!ちょっと派手で友達が多いからって調子にのるなよ〜〜〜〜!!!(羨ましい!!!!)と内心では思いつつ「知ってる知ってる〜」と返答する自分が虚しかった。

ちなみに、大学入学時に「脱☆地味」を目標に、明るい茶髪とバッチバチのマツエクでデビューを試みたものの、あえなく失敗。似合わなすぎた。イケイケの仲間入りをするどころか、風俗の勧誘を受けて終わった。そしてサークルではぶりっこの称号を手に入れた。勿論陰口である!こんな私ですから、半年間にも渡って『わたし』という人間を外っ側から眺めてみたものの、その感想は「どうにも突出した個性が見つけにくい奴だナァ……」である。
「なんだかなァ」な私にとって、「わたしはだれ」の答えを見つける旅は長く果てしない。もちろん私の苦労なんて、世間の皆々様からしたら一息で吹っ飛ぶレベルというのは百も承知なのだけれど。それでも心がしんなりは、する。

今更どんな顔をして「これが私の個性です!」などと言えばいいのだろうか。というか、個性って何?オリンピック選手とか、学者とか、藤井四段でもなければ見つけらん無いよ、そんなの!といじけてみたり、逆になんだか愉快になってきてアッハッハと笑ってみたりする。そもそも人間における自我とは……なんて、哲学者ぶってみたりもする。ああもう全く「がらんどう」な自分と向き合う作業というのはひどく切ない。

20リットルバケツいっぱいに注がれた『周囲からどのような人物だと思われていますか水』でジャブジャブ洗われ、一息つく間もなく『あなたのやりがいはなんですかヌカミソ』に満ちたドラム缶にどっぷりと漬け込まれ、へなへなになったところで『本当にこの生き方でいいんですか包丁』で輪切りにされる。はい、美味しいぬか漬けの完成です!明日は美味しい炒飯の作り方をご紹介します。

「わたしはだれ」という問いに対する明確な答えは見つからない。たぶん、一生かかっても見つけだすことはできない。計算ドリルみたいに、巻末を見れば見つけられるわけでも、恐らくない。人生が「巻末」になったって、わかりゃあしないのだ。
何十年漬け込まれても、私は所詮ぬか漬けみそ子。アイデンティファイ・ユア・セルフ。この世でもっとも難しい問いだと、私は思う。神様仏様どっかのだれか様。私はいったい、誰ですか?


あしたにつづく