会いたい人がいる。

会いたい人がいる。

 

8歳の頃、転校をすることになった。寂しさはあまり無かった。くすぐったさや緊張の方がずっと大きかった。クラスメイトたちが開いてくれたお別れ会は和やかに進んだ。いよいよ「さよなら」という時、一人の男の子が私を廊下に呼び出した。「渡邉さんのやってた新聞係、僕、頑張るから」そう言いながら、毛糸とビーズで作った手作りのネックレスを手渡してくれた。心強くて温かくて、しばらくはそのネックレスを身につけて登校していた。今も戸棚にしまってある。恋だの愛だの、そういう類じゃなくたって、私を思って一つ一つビーズを紐に通した小さな手。それを思うと胸がほんのり痛くなる。あまり話すこともなかった、片桐くん。顔は朧げにしか思い出せない。平静を装った、少し上ずった声。彼は今、どこで何をしているのだろうか。

10歳の頃、初めてホームページを作った。日記、掲示板、そして自作のファンタジー小説。たった3つのコンテンツ。10歳の少女が書いた、未熟でありふれた小説を「好きだ」と言ってくれた人が1人だけいた。彼女は私が小説を更新する度、感想を掲示板に残し、時たま小説のキャラクターのイラストを描いてくれた。10年以上たった今、私の文章を「好き」といってくれる存在がどれほど貴重なのか、身にしみて思う。もう名前も、絵のタッチも思い出せない。結局小説は完結させることができなかった。彼女は今、どこで何をしているのだろうか。

13歳の頃、4人グループで毎日のようにスカイプをしていた。私たちは子供向け掲示板で出会った。皆、年齢はだいたい同じで、家庭環境や趣味が似通っていた。私たちは自分たちのことを『4姉妹』と呼んだ。誕生日の日、誰よりも1番に「おめでとう」と言ってくれたのは彼女たちだった。新年の挨拶、学校の愚痴、おすすめの漫画やアニメ、好きな人の話。私たちはいつでも一緒だった。その日も、いつものように「じゃあね」と言い合ってパソコンの電源を落とした。その日を最後に、私たちが“花梨ちゃん”と呼んでいた子は二度と姿を現さなかった。私の1つ下。北海道在住。あんなに何もかもを共有していたのに、私たちが知っていたのはそれだけだった。私たちは何度もチャットにメッセージを残したけれど、彼女が再びオンラインになることはついになかった。彼女は今、どこで何をしているのだろうか。

年を重ねる度、山ほどいる「会いたい人」の輪郭がぼやけていく。その出来事は覚えていても、どんな顔だったか、どんな声だったか、どんな言葉遣いだったか、どんな人だったか、思い出せないことが多い。もともとあまり交流が無かった人でも、とても親密だった人でも、等しく記憶は滲んでいく。私の世界にいないことが当たり前になっていく。それだというのに、彼らのことを考える度、私はなんだか切ない気持ちになるのだ。それは「もう会えない」と分かっているからかもしれないし、「私のことなんて覚えていないのだろうな」と思っているからなのかもしれない。実際、町ですれ違ったって、すぐそこにいたって、目の前で微笑んでいたって、分かりようがないのだ。そんな切ないことがあってたまるか!そう、しかし、それが現実である。あってたまるのだ。一度平行になってしまったら、交わらないようにできている。そういう風にできている。それでも、これからも続く長い人生のほんの短い間だったとしても、私が彼らにときめいたのは本当のこと。私は彼らの誕生日を祝い、彼らは私の誕生日を祝った。あの時、確かに“私たち”はひとりぼっちじゃなかったんだ。薄れ、滲んだそれぞれの記憶たちが、水彩画のように溶けて交わる。溶けて、交わって、今日の私を形作る。だから、薄れることに、罪悪感は抱かなくていいのだ。多分。積み重ねてきた一つ一つの出来事はあまりにもささやかすぎるが、人生とはそういう地味なものなのだと思う。地味だけど、楽しい。全員に理解されなくていい。いいよ。いいんだよ。私は今幸せです。友達、少ないけど、います。大変なこともあるけど、幸せです。去年も言ったね。今年も変わらず幸せです。

 

会いたい人がいる。いつか交わればいいな。そう思いながら、今日も私の記憶は滲む。